「ロシア日記」
有限会社 プレジャー企画 代表取締役 大棟 耕介(オオムネ コウスケ)
| 1988年 | 中京大学付属中京高等学校卒業 |
| 1992年 | 筑波大学体育専門学群卒業 |
| 1992年 | 名古屋鉄道株式会社入社 |
| 1998年 | 名古屋鉄道株式会社退社 |
| 1998年 | 有限会社プレジャー企画設立 |
| 2006年 | NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会設立 |
| 現在に至る |
私の仕事はクラウン(道化師)です。この仕事を始めて14年ですが、ここ数年、海外での活動が増えてきました。フェスティバルやコンテストに出演するだけでなく、サーカス・アーティストの招聘のためにオーディションをしたり、各国のクラウンに誘われ、被災地や病院を慰問するときもあります。そんな中で、一昔前に映画で有名になった「パッチ・アダムス」と行ったロシアの病院訪問ツアーはとくに興味深いものでした。
昨年の11月です。モスクワとサンクトペテルブルグの2都市で12の病院、2つの孤児院を半月で訪問しました。この2都市では病院に限らず建物のすべてがとても大きいことに驚きました。院内もまるで迷路です。そして、大概、庭や玄関から殺伐として、照明が暗く刑務所を思わせます。入り口では警官が金属探知機でチェックをし、玄関でばい菌の進入を防ぐビニールのシューカバーをつけさせられますが、いくらシューカバーをしても、病院内の床のほうが汚い気がしました。看護師はどこにいるかわからないぐらい少なく、患者の管理はほとんどされていません。
私達は初日に、市内最大の障害者の施設が併設されている病院へ行きました。そこには、約500名の子どもが収容されていました。8名ずつ分かれ、3時間かけて、施設をまわり、盲目の子ども、肢体不自由の子ども、もちろん寝たきりの子どもたちにもパフォーマンスをしました。多くのクラウンは、丸い風船でバレーボールのように遊んだり、ゆっくり抱きしめてあげたり。しかし、一番多くはドイツのクラウンのアコーディオン演奏にあわせ、一緒に踊ることでした。
子どものさまざまな面に、日本の子どもとの共通点が見られ、というか、世界中の子どもはどんな環境下であれ、同じ部分を持っています。風船はロシア語で「シャーリック」といいます。「スパシーバ」「ハラショー」「パジャールスタ」など挨拶用語の次に覚えたものがこの言葉でした。どこに行っても、「シャーリック」は人気者です。
夕食後の束の間のオフに、パッチを含む仲間のクラウンたちと地下鉄に乗りました。同じ色の服を着た共産圏の市民は、表情を変えず横目で派手な衣装の僕達をチラッと見るだけです。そんな車内で、「シャーリック」のバレーボールをはじめる僕達を最初は怪訝そうに見ていました。しかし、僕は目撃しました。
コースをそれた「シャーリック」が、無愛想ないかつい中年男性の前に飛んでしまったとき、周りはヒヤッとしました。誰もが怒られると思った瞬間、その中年男性は無愛想なままで、ポンとこちらに「シャーリック」打ち返した後、かすかに微笑んだのです。
人はなぜだか風船が好きなようです。近くにきたら、ポンと打ち返したくなるのは条件反射みたいなものです。無愛想なロシア市民の暖かな人間味を垣間見ることができた瞬間でした。
半月のロシアの訪問はかつてないストレスがありましたが、さまざまな気づきがあり、今の病院での活動に役に立っています。興味を素直にあらわし、すぐに相手との距離を縮める力は、大人になっていくに従い失われていくのでしょうか。今年も11月に参加してきます。




