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「勤勉で、明るく、楽しく、たくましく」

オーキス・ジャパン株式会社 取締役社長 堀田 喜久(ほった よしひさ)

オーキス・ジャパン株式会社 取締役社長
昭和17年 6月 生まれ
昭和44年 3月 南山大学大学院文学研究科 卒業
同 年    7月 アイシン精機(株)に入社
同 年    10月 アイシン・ワーナー(株)転籍
昭和56年 1月 同社 秘書課課長
昭和59年 1月 同社 法務課課長
昭和61年 1月 同社 秘書室次長
昭和63年 1月 同社 営業部副部長
同年     3月 社名変更 アイシン・エイ・ダブリュ(株)
平成元年 3月 同社 取締役
平成 5年 3月 同社 常務取締役
平成11年 3月 同社 専務取締役
平成13年 3月 同社 取締役副社長
平成17年 6月 オーキス・ジャパン(株)取締役社長
現在に至る
平成17年 6月 アイシン・エイ・ダブリュ(株)退社

 「勤勉で、明るく、楽しく、たくましく」は、私が36年間勤めたアイシン・エイ・ダブリュのモットーで、社是の一つと言える。今年の6月、私は同社を退職、子会社の一つでオートマティック・トランスミッションの再生事業を営むオーキス・ジャパンの社長になったが、新しい会社でもこのフレーズをぜひ社風に取り入れ、意識改革の出発点にしたいと考えている。
 私の勝手な解釈だが、このフレーズの背後には、日本の良き伝統としっかりした歴史認識、日本人の賢さと英知、武士道に代表される高潔な凛々しさ等々、威風堂々としたものがあり、それにしっかり裏打ちされてはじめておおらかに表現できる行動様式だと思っている。簡潔で分かり易いフレーズだが、敢えてここまで解釈してみるといかにも含蓄がある。

 今年3月のはじめ、デトロイトから中部国際空港へ向かう機内で、隣座席の女性と知り合った。ボストンに住む医学研究者の婚約者で、知多で美容院を経営しているため彼と米国暮らしができず、1年に2回渡米し、およそ1ヶ月滞在しては彼の身の回りの世話をしている女性である。国際時代にふさわしい遠距離恋愛の一例なのかもしれない。
 この女性とひょんなことから鎖国時代の漂流者の話になった。漂流者といえばジョン万次郎(中浜万次郎)ぐらいしか知らなかった私に、彼女は知多内海出身の山本音吉の話を聞かせてくれた。彼の人となりについては三浦綾子の「海嶺」に詳しいと教えられ、早速、本屋で手に入れ夢中で読んだ。知多の内海から江戸へ千石舟で米を運ぶ途中台風に巻き込まれ、なんと1年2ヶ月も漂流したのちアメリカ西海岸のフラッタリー岬にたどり着く。14人いた乗組員のうち11人が漂流中に亡くなり、音吉を含む3人が助かったが、原住民の奴隷にされて過酷な生活を余儀なくされる。交易のためにやってきた白人の計らいで原住民から解放され、日本へ帰国させたいと願う親切な米人や英人の手でアメリカからイギリス、そしてイギリスからマカオへと移動、最後に、祖国に上陸する寸前のところまで漕ぎ着けながら、幕府の鎖国政策の故に砲撃を受け、やむなくマカオに戻って客死する。 中日新聞によると、今年3月に音吉の遺灰が中部国際空港に到着したというから、実に173年ぶりに生まれ故郷の内海に戻ったことになる。

 三浦綾子は、勤勉で、賢く、明るく、たくましい少年として音吉を描き、キリシタン弾圧の恐怖から宗教的行事への参加をさけつつも、西欧の技術レベルの高さに驚き、未知の文化や慣習に大きな感心をもつ人物としてとらえた。彼の性格は、「ジョン万次郎」で星亮一が描いた万次郎の性格、すなわち、好奇心が旺盛で、何事にも積極的、物怖じせず、素直で、外向的な人物像と明らかに共通点がある。その共通点こそ、「勤勉で、明るく、楽しく、たくましく」の行動様式と言えるだろう。二人の間に違いがあるとすれば、それは祖国へ帰ろうとするニーズの違いではなかったか。音吉は祖国が恋しくて帰りたかったが、万次郎の場合は、世界の動きを日本に伝えるために危険を冒しても帰らねばならないと考えた。そうしなければ日本は西欧の列強に植民地化されてしまうという危機感が万次郎にはあったのである。漂流した5人全員がアメリカの捕鯨船に救助されながら、万次郎だけがアメリカ本土に渡り、帰国後、中浜万次郎として幕末の政変に大きな足跡を残し得たのは、他の4人にはなかった夢と情熱があったからである。世界がいかなる方向へ進もうとしているかに関心を払わず、井戸の中の蛙のように鎖国政策を続ける当時の江戸幕府に、彼は大きな危機感を持ったのだった。

 前の会社で私は一貫して国際関係の仕事に従事してきた。すなわち、合弁時代は通訳や翻訳を担当する異文化間コミュニケーターとして、合弁解消時は特許紛争、技術援助契約、合弁終結など法律上のネゴシエーターとして、合弁解消後は営業、とりわけ海外顧客への拡販活動を担当するセールスマンとして経験を積んだが、この経験から、国際分野で仕事をする日本人は、武士道精神、礼儀、文化、しっかりした歴史認識を身につけ、その上で日本人としての誇りを持ち、勤勉で、明るく、楽しく、たくましく行動する必要があると感じている。そうすれば、音吉や万次郎のように、外国の人たちから愛され、尊敬される日本人になるに違いない。新しい会社に移ってからも、若い人たちをつかまえてはジョン万次郎や音吉の話をし、「勤勉で、明るく、楽しく、たくましく」の勝手な解釈論を展開しているのは、実はそのためでもある。

(次号9月号は、中庸スプリング株式会社 取締役社長 林 俊行様にお願い致します)