「モデルシップに乾杯」
株式会社名古屋観光ホテル 取締役社長 藤森 源久(ふじもり もとひさ)
| 昭和23年 1月25日 生まれ | |
| 昭和45年 3月 | 同志社大学 工学部 工業化学科卒業 |
| 同 年 4月 | 興和株式会社 入社 |
| 昭和62年 4月 | 同社 化学第一部 化学課長 |
| 平成 元年11月 | Kowa American Corp.(N.Y.C.)駐在 |
| 平成 5年 6月 | 興和株式会社 化学第一部長 |
| 平成11年 6月 | 同社 取締役(現任) |
| 平成11年 6月 | 株式会社名古屋観光ホテル取締役社長 |
| 現在に至る | |
名古屋観光ホテルのロビー、コンシェルジュデスクの後ろに帆船の模型が置いてあります。『ソブリン・オブ・ザ・シー』〜海の皇帝〜といったような意味ですが、17世紀イギリスのチャールズ1世が建造した大型のガレオン船で代表的な帆船です。
「帆船」といってイメージするのは人によって異なると思いますが、昨年10月の台風23号で岸壁に衝突した『海王丸』のように今も航海しているものや、ウィスキーのブランドにもなった19世紀中頃の『カティーサーク』。あるいはコロンブスの『サンタ・マリア』など、帆船もその時代時代で能力も形も目的も変わってきます。しかし、私見ですが、帆船が一番輝いていたのは16世紀頃、いわゆる大航海時代の船だと思います。コロンブスの大航海から約30年、16世紀初頭にマゼランがマゼラン海峡を発見し、初めて世界一周を果たしました。マゼランは5隻で船団を組んで航海に出発し、2年かかって世界一周をする訳ですが、スペインに帰ったときには1隻だけ、マゼラン自身もフィリピンのセブ島で原住民との戦闘で戦死しています。
それから約80年後、オランダの帆船が東洋を目指します。東回りで行くか西回りか、航路の問題で紆余曲折があったものの、結局西回り、マゼラン海峡を経由し1年10ヶ月かかって日本にたどり着きます。船長はウィリアム・アダムスというイギリス人。出発した時は5隻で総勢491人、1隻は途中でオランダに引き返したものの、日本に着いた時は僅か18人だったと言います。この船長は徳川家康に仕え、三浦半島に領地をもらい、「三浦按針」と言う名前の直参になっています。
三浦按針ことウィリアム・アダムスは望郷の念を抱きつつ、日本で生涯を終えますが、いずれにしても当時の船乗りたちにとって生きて故郷に帰れるほうが珍しく、当時、まだ原因の分からなかった壊血病の恐怖にも怯えつつ、伸るか反るか、大博打での航海であったのは間違いのないことだと思います。決して夢やロマンといった奇麗事だけではなく、当時の厳しいヨーロッパの時代背景もあったのだろうと思います。
今まで帆船模型は10隻くらい作りましたが、冒頭のソブリン・オブ・ザ・シーはその中でもっとも大きな船です。作っていく工程の一つ一つは単純で、割りばし位の幅の板をお湯につけて柔らかくしながら、形を整えつつ小さな釘と糊を使って貼っていく、船体は簡単に言えばそうやって作ります。その後マストを立てて、今度はロープを一本一本張る。綺麗に作るコツは時間を惜しまない事だけです。
一つの帆船が出来上がった時、家族の寝静まった部屋で、ちょっと上等のウィスキーのオンザロックでも飲みながら、16・7世紀ごろ命がけで大海原を駆けていった男たちの事を想像していると、デッキからピーターパンのアニメに出てくるような船長がひょっこり顔を出すような気分になります。
(次号3月号は、株式会社御園座 取締役社長 長谷川栄胤様にお願い致します。)


