「今、人事部に必要なこと」
一橋大学大学院商学研究科 教授 守島 基博
2007年の新年を迎えるにあたり、企業経営における"人"の課題に関する今後の動向について考えたいと思います。
企業の競争力を高め、社員のモチベーションを最大化させるために、人事部は自社の社員に対し、どのようにアプローチすべきであるか。企業をめぐる環境が激変しているなか、人事部も新しい時代に適応して変わっていくことが求められております。そこで、今後の人事部の役割と人材マネジメントについて、
一橋大学大学院の守島教授から解説いただきます。
過去15年の経済復興過程が終わりに近づき、わが国経済はようやく復活の道を歩み始めた。企業業績が上昇傾向にあるし、株価も持ち直し始めている。なんといっても、多くの企業で利益が出てきたのである。昨年までに比べれば、2007年の幕開けを充実感をもって迎えている経営者も多いだろう。
だが、人事部にとっての課題はむしろこれからなのである。これまで苦労をともにしてきた従業員に回復の恩恵を配分していく時期だからである。ここ暫く、従業員は数多くの厳しい施策を我慢して受け入れ、そのなかで会社の建て直しをしっかりと行ってきたのである。何年たっても上がりそうにない賃金を受け入れる、ひとりふたりと正社員が減り、派遣社員に置き換わっていく職場を見つめる。そして、多くは、自らが"リストラ"されることを受け入れ、新しい職場に希望をつないだ。
例えば、私たちの行った2005年時点での調査によれば、3年前と比べて自分の賃金が、個人の成果や企業業績の向上によって上がった割合は、全体の30%ぐらいしかいない。比較のしようがないので明確にはいえないが、直感的に考えて、全体の3分の1の従業員しか賃金が上がらない時期が3年間も続いたとしたら、それは極めて異常な事態であると言わねばならないだろう。ましてや、それ以前の賃金体系が、ベースアップや定期昇給など、時間の流れとともに上昇する賃金を働く人に提供してきたのだから。
こうしたなか、働く人たちは、企業の利益アップ、配当増加などの報道を聞きながら、もう我慢の限界に来ているという感覚をもっているのではないかと、私は思う。
その意味で、今は人事にとって極めて難しい時期である。なぜならば、今、ここで働く人の心の舵取りを間違うと、長期的なモチベーションや、働く意欲に大きな影響が出てしまうからである。これまでのかなりきつい経験が、働く人の経営に対する信頼や我慢をすり減らしてきた。その結果、働く人の心のマネジメントが、今後3年間の人事にとって最も大きな課題となる。
成果主義とフリーターの後で
そこでこの対応を考える上でまず認識することが必要なのは、過去15年間の人事変革の結果、組織と人の関係が大きく変わってしまったことにある。
まず短期的には、私たちはポスト成果主義の時代に生きており、そのなかで組織と人の関係は、もう昔のような「抱え込み−依存」関係ではなくなっている。働く人は成果を出すことが、生き残る唯一の道であることをこの15年でしっかりと認識してきた。成果主義は、単なる人事制度ではなく、まさに「主義」になったのである。
その結果、働き手の多くは、企業にも「成果」を求める。その企業で働くことの自分にとってのメリットが何か、その結果、どういうキャリア上の成果が手に入れられるのか。こうした点を重視して企業選択が行なわれる、「逆成果主義」が働くことの前提となりつつあるのである。
さらに、やや長期的には、少子・高齢化が進むなかで、フリーター世代の多くが、年齢的にはいわゆる中堅と呼ばれる年齢層に入ってくる。フリーターや新卒派遣という就労形態は、もちろん働く人の選択もあったが、品質は維持しながら、低価格のサービスや製品を求め、「価格破壊」を進めてきた戦略の産物でもある。その結果、私たちは、所謂「非正規雇用者」を大量に生み出してきた。よく言われるように、こうしたことが「格差社会」成立の一因であることは最近頻繁に指摘される。
そして、いずれこうしたことは企業の採用方針を大きく変化させることになるはずである。具体的には、フリーターだったから、正規の雇用を経ていないから、などという理由で人材を選別できる時代は終わる可能性が高い。組織のなかで正社員としての働いたことのない人材を雇用しなくてはならないし、新卒学生や、正社員雇用の経験がある人材でも、心のなかでは組織に対して全くコミットする気持ちの無い人材を多く活用する(しなくてはならない?)時代になるのである。つまり、組織で働く、ということの認識が、これまでの従業員と全く異なる働き手を、職場の働く仲間として受け入れる時期がくるはずである。
新しい心理的契約の必要性
その結果、ポスト成果主義時代、労働力減少・フリーター戦力化時代における人材マネジメントは、これまでとは全く異なった、働く人と企業の心理的契約を前提として作られなければならないと考えられる。心理的契約とは、「組織との互報酬的な関係に関して従業員が抱く主観的な信念」のことであり、簡単に言ってしまえば、働く人と企業の間でのお互いの役割関係に関する働く側の認識である。今、成果主義と雇用構造の変化により、従業員側の認識が変化し、企業の提供する人事システムの間でミスマッチが起こる可能性が高いのである。
ではいったい何をすればよいのか。私は新たな心理的契約に基づいた人材マネジメントは、大きく分けて3つの人事戦略からなると考えている。
<今、重要な3つの人事戦略>
1 チャンスを与える文化と仕組みづくり
2 企業内コミュニケーションによる納得性の確保
3 人材の「個」としての認識
〈人事戦略その1:チャンスを与える文化と仕組みづくり〉
まず第1が、働く人への成長機会の提供である。既に多くの場面で議論をしてきたのでご存知の読者も多いと思うが、人材マネジメントのプロセスを極めて単純化してみると、@人材の能力を高め、A能力の高まった人材に仕事を割り振り、B仕事の成果を評価し、Cさらに評価結果を賃金やポストなど処遇と結びつける、の繰り返しである。
したがって、本来なら前工程まで含めての変化であるべきなのにもかかわらず、過去多くの企業で導入された「成果主義」は、評価賃金制度の変化にとどまってきたのである。つまり成果の評価とそれを処遇に結びつける仕組みの変化であり、それが一般的には成果主義の導入と呼ばれてきたのである。そのため、前工程に関わる要因が軽視されてきた。
なかでも新しい心理的契約のもとで重要なのが、成長機会(チャンス、仕事)の提供である。なぜならば、多くの企業が高度成長期に潤沢にあった成長機会が減少し、バブル経済・復興過程を経て、低成長期に入り、企業組織の成長がストップしたため、社員を成長させるための仕事が枯渇しているのである。そのため、前記のサイクルの第2ステップで分断が起こっている。
また、さらに重要なのは、たとえ社員を成長させるような仕事が潤沢にあったとしても、そうした機会が、成長ポテンシャルの高い社員に振り分けられることが少なくなったことである。経営の効率化のなかで、企業の中のリスクに関する考え方が厳しくなり、成果主義で評価されている現場の上司が、「少し頑張ればできるようになる」社員に仕事を割り振らなくなったのである。どんなアンケートをとっても、できる人への仕事の集中が、ここ数年の職場変化のトップにくるのがそうした変化が職場で起こっていることを示唆する。
したがって、人事部としては、チャレンジ性のある仕事が潜在能力(成果ではない!)の高い人材に割り振られる確率をなんとしても高めなくてはならない。逆に能力開発の仕組みは、企業外でも充分整ってきており、大学院など、質のよいアウトソース先が増えている。
もちろん、難しいのは、チャレンジ性のある、成長に繋がる仕事は現場で生まれる。したがって、人事部が介入する余地が少ないことであろう。だが、これが人材マネジメントの生命線であるという認識に基づいて、評価制度を変更し、現場上司のリーダーシップ訓練の内容に手を入れ、組織文化としての育成カルチャーを構築しなくてはならない。職務設計の工夫もいるだろう。
いうなれば、ひとつの人事施策だけで可能になるのではなく、より総合的な人事戦略としての「チャンスを与える文化と仕組み」の復活である。そうでないと、人も育たないし、「逆成果主義」のなか、働く人に選択されない企業になってしまうのである。
〈人事戦略その2:企業内コミュニケーションによる納得性の確保〉
第2が、納得性の確保である。成果「主義」的な価値観をもつ従業員や、これまで組織と長期的な関係を築いた経験の無い従業員は、評価や処遇、配置転換において、短期的な納得性を要求する。もちろん、完全に一回ごとの短期決算ではないにせよ、もう長期的な雇用関係のなかで、「いずれは報われる」という形で自分を納得させるケースが少なくなるのである。今までのように、「そのうち、良い事があるから…」的な納得性の確保はもう無理なのである。
どうすればよいのか。基本は、人事制度の仕組みではなく、説明、情報共有、コミュニケーションである。例えば、人事考課に関する上司のフィードバックである。制度は整えたが、人事部として、自分の企業で、はたしてこうした上司によるフィードバックがどれだけきちんと実施されているか把握しているだろうか。別の言い方をすれば、制度の準備や考課者訓練を行うだけではなく、人事部の問題意識のなかで、上司と部下とのコミュニケーションをどこまで人事が関与すべき重要なプロセスとして定義してきたか。
そしてさらに重要なのは、企業トップから現場への情報共有とコミュニケーションである。企業の意思決定や、戦略転換が、これまでよりトップダウンで行われるようになると、働く人の納得性は、企業トップや、自分の上司からの情報提供やコミュニケーションのあり方に大きく依存する。これまで人事部が力をいれてきた、現場の声を吸い上げる仕組み(ボトムアップ)も、もちろん重要だが、働く人の納得性という観点からみて重要なのは逆方向のコミュニケーションである。思い浮かべて欲しい。わが国でも、外国でも、トップから現場への説明やコミュニケーションがうまくいっているから、結果として業績が上がっているという実例を私たちは幾つ見てきたか。
多くの場合、トップからの強い発信は、良いトップに「恵まれた」企業だけに起こるとされてきた。もう少しデザイン的思考を取り入れ、人事部としてトップから現場へのコミュニケーションについて、何かできることはないのだろうか。
いずれにしても、今後の人事戦略として重要なポイントは、働く人へのコミュニケーションの量と質である。
〈人事戦略その3:人材の「個」としての認識〉
現在、ダイバーシティの議論が盛んである。そして、ダイバーシティについて語るとき、私たちは多くの場合、グループとしての女性、高齢者、外国人に対する雇用システムの議論を行う。
だが、本来、ダイバーシティは、逆の発想なのである。なんらかの外的基準(性別、人種など)によって異なった、分離型だがそれでも集団的な人事管理を行うのではく、一人ひとりのニーズや個性、企業にとっての価値が違うことを前提にして、働く人のニーズや価値に対応した人事管理を行っていく発想なのである。
私たちは、成果主義の名のもと、人事管理を個別管理に移行し、評価を一人ひとりの成果に基づいて行う方向へ舵を切ってきた。これまで企業がやってきたことを、今度は働く人が要求しており、そうした要求が満たされない企業には魅力を感じない人材が増えている。
また、このことは、企業内に様々なキャリアパターンがあることを認め、奨励することでもある。上記の個別契約の長期バージョンだと言っても良い。働く人にとって、選択肢の少ない、昇進が勝ちと認められるキャリアを歩むことだけが価値のあるキャリアではなくなった。多様なキャリアをもった人材がおり、その人たちが個別に成長していくことで異なった貢献の仕方があることを認める企業で働く人のモチベーションが上がるのである。
米国でも働く側のニーズを組んだ働き方とキャリアを提供できるかは、人材活用のためにも大きなポイントになりつつあるようだ。アメリカの経営学者デニース・ルソーによれば、働く人と企業の間に結ばれる雇用契約は、個別特殊的(idiosyncratic)になってきていると主張する。働く人一人ひとりの生活上のニーズと、雇用上のニーズのマッチングが個別特殊的になってきており、働く人のそうしたニーズにきちんと対応しない企業は、これからは優秀な人材を獲得し、モチベートする機会を失い、人材獲得競争に負けてしまうというのである。
日本でも高付加価値を期待される人材(例えば、専門性の高い人材)をはじめとして、日常的な仕事や、定型的な仕事をする人材においても、働く側のニーズへの対応が働く人のモチベーションの源泉となり始めている。多様な働き方への対応は、働く側のモチベーションの源泉なのである。新しい心理的契約のもと、鍵は働く人の立場にたって、個別選択をどこまで許せるか、である。企業サイドからの集団管理に慣れてきた人事部にとって、最も大きなチャレンジかもしれない。

